私のDTP事始 軽印刷コアマガジンNo.6より(平成5年2月) |
●深夜、切った貼ったのやくざな稼業 和文タイプをフル活用した時代は、タイピストもさる事ながら、切ったり貼ったり書いたりする刃物や入れ墨のテクニックが随分幅を利かせていました。直しても直しても赤字が入り、出来上がった版下は貼り込みでずっしりと重みが増しているというわけです。この頃の先達や内職タイビストの辛苦の中の努力には敬服せざるを得ません。 世の中には電算写植という機械が出来て、文字を訂正しても貼り込まず、削除したらその分ずれて送り込まれると言う噂を耳にしていましたが、私たちの鉄火場には高嶺の花に思えました。それよりタイピストの研修を短く、品質を高くが目標で、電動タイプを試験導入したり、モトヤのポイントタイプを標準化しようとしていましたが、印字速度や予算の関係で、当時三十人近くいたタイピストに普及させるには至りませんでした。それでも先進気鋭の経営陣によって最新システムの調査研究が行なわれていた事が当時の資料に残っています。 1982年5月、私は都営バスの車内一面に貼られた高見山を見に上京。第52回ビジネスショウはワープロが一気に花咲いた時と聞いています。件の高見山が背負って宣伝したのほマイオアシス75万円。入力方式は何だとか、フォントにごまかしがあるとか、活字インパクト式がきれいとか…結局伝統のQWERTY、チトシハマノリレ方式、ドット出力が主流となったのほなんというべきでしょうか… ●思い起せば恥かしき事の数々 なにはともあれコンピュータならどれも同じだろうと顧客の古いオフコンを譲ってもらい、アセンブラで原価計算にチャレンジ。1文字コーディングミスを直すのに2時間も待ったりで、この頃は優雅な時代でありました? また、出来上がったプログラムをテストラン中、1日の全作業員の日報を入力するだけで優に2時間は掛かり、この原価計算で得る事の出来る利益よりこの人カロスの方が大きいのではという疑問に遮られ頓挫してしまいました。でもこの過程で当時の日軽印の標準原価計算の考え方は非常に勉強になりましたし、コンピュータの様子が感覚的にわかるようにもなりました。 業界ではワープロとは別に、電子組版機が登場、これに刺激された私たちは電植とは違う手軽さに注目しました。タイプの感覚からなかなか抜けきらず、活字インパクト方式に魅力が集まっていましたが、ふと外字はどうするのかなと思ったことから、もやもやが晴れて、当時のドット式の雄FX500を採用することにしました。 ここで私たちの会社はこういうコンピュータを使って新しい方法で組版を行なうのだと宣言し、宣伝すべきなのだが、使う我々もうまく説明できず、顧客も何を言っているのか分からない状態でした。フロッピィのイラストを名刺に刷り込んでもこれは何かと問われるだけで、電子組版のPRはなかなかうまくいませんでした。しかしタイピストは確実に減少しているという事実は私共で深刻に受け止めていました。このことが電子化を加速したのでした。従って顧客を電子組版方式に慣らす闘いが2年程前まで続いていたと言って過言ではなく、メーカーが我々に機械に仕事を合せるよう要求したのと同様のことを顧客に、そして我が社員たちに強いたのでした。 当初FXのオペレーションは自分で行なっていましたが、適当な仕事をセレクトして徐々に電子化し、今の様にマニュアルが充実していなかったから、細かいところはテストして確かめもしました。 まだPC9801もようやく市民権を得てきたころで、販社の勧めるままにSORDのM68を導入、ワープロと繋ぎました。既に一般ワープロを入力に、組版編集機で組版という構図は定まっていたのですが、メーカーの対応が遅れ、変換が出来るようになるのが遅れていました。当時最終的に入手した変換ソフトがPIPSに対応していたため、随分データベースの勉強にはなりました。いろんな方に教えを受けて試行錯誤したこの頃の事がとても役に立っています。先日のマック関係のセミナーで導入の早道は一台購入して黙って社員に預けることだと言っていたが、そうだそうだと思いながらも、逆にマックの世界は電子組版の8年前と同じなのかと、がっかりもしました。 ●情報処理業と名乗ってはみたが 私自身がオペレーターとなって、全体の工程や効率とは全く関係なく動かしていた時代は、試行錯誤と同時に仕事の幅を広げるための挑戦の時代でもありました。その当時は次の様な仕事を好んで受注していました。@電算センターで処理している名簿を写植文字にして印刷、A名簿の調査から案内・名簿の作製・発送受注、B今日の競技大会の全データをフロッピィで受けて直ちに新聞記事に出力、Cいろんなワープロでの投稿を編集して会誌を発行、D模擬試験問題をランダムな順で数種類作製、E蔵書票を順次入力し、様々な分類で整列した蔵書目録をワープロのフロッピィで納品、等々。 |
いずれも試行錯誤時代の産物で、当社で一度は実績をあげたのですが、後の仕事が続きませんでした。いかんせん地方都市でほそうそうある話ではないのでしたが、これにめげずアンテナは常に張っていました。 この8年間にこのままFXでいいのか随分悩んだこともありましたが、一度買った物は骨の髄まで使うという貧乏性が結局ここまでFXをひきずってきてしまいました。現在はタイプライターを全廃し、効率と量の時代だと考え、FXも5人の若く美しいオペレータにまかせきりでトラブルの時以外は私が触れることはありません。FX550になってからモニターが充実し、今の人達が直感的に理解できるようになり、これが本来の形で、ようやく地に足が着いた感があります。 ●現在のシステムとささやかな工夫 文字入力:顧客のフロッピィはPC9801でDOSテキストを介してFX500データに変換。各社の変換ソフトを集めて殆どの機種に対応。 社内と内職入力:文豪5VUのM式キーボードを採用。キーボードの両手均等負担、リズム感、旧かな混じり文の変換などを考慮して、これからはこれだと気負って導入しましたが、オペレータが他の機種を使えなくなる弊害。もうひとつの方法はPC9801上で松V5を使用してテキスト入力。キーボードにFXのコマンドを埋め込んで、定型句には組み合わせコマンドや郵便番号を取込むというものです。そこまではよかったのですが、松自身が重くなってきており、やや食傷ぎみで、社内と内職入力データの変換には特注ソフトを用い、FXコマンドはコンバートと同時に完全に変換しています。 入力ソフトにはペアの記号やコマンドのチェックや数字の全角、半角処理、和欧混植字の英単語の分離禁止コマンドの自動発生など、もう少しコンピュータらしく人間の単純ミスを補ってくれるものが欲しいとおもいます。 ワープロは既製の原稿台を使用すると首が痛くなり、肩が張るようなので、本体の高さを工夫して原稿をディスプレーの真下に配置したところたいへん楽になりました。 組版:FX500またはFX500で組版LBP普通紙でゲラ出し。できるだけ貼り込みをしない方針をとっていますので外字の作製は上手です。”。」”や”」「”などの組処理は自動化されていませんのでパターンをFX550に覚えさせて、置換処理後組版しています。 FX550のワークステーションはゲラや原稿、見本、辞書などが散在するので手元をできるだけ広くし、タイプの木製の机を使い、ディスプレーを1台の机の上に置いて、更にもう1台の机を手前に置き、キーボード他の作業台にしています。CPUは活字を入れた袖を改造して入れたことによって、幅はとらず、作業がしやすくなりました。 出力:予算によって普通紙とFX550AP出力を分けているが、普通紙のまま印刷が2/3以上。FX550APはA3仕様で、どうしても写真等の貼り込みがあるので面付けはFXではしていません。 ●まとめにかえて そうこうしているうちに他の競合印刷会社がちょっとした資金で新しい組版機を導入、某社の不満分子を採用して組版にあたらせると、あっというまに量を稼ぐ組織はできあがってしまっています。顧客にしてみれば大差はないと思えるでしょうが、では当社の特徴はと問うと、なんのことはない、営業マンの力量なのです。優しい営業氏は君たちがバックでしっかりやってくれるから安心して受注できるのだと涙なくしては語れない物語―否、それに甘んじてはいられません。入力や組版の技術的な要素はコンピュータに大分備ってきましたので、後は整理編集のノウハウが他と差別化したり、付加価値を産むのではないかと思っています。タイプ時代は所謂見本通りが幅をきかせていましたが、これからは業務用印刷物でもサムネールや部分的にラフスケッチをかいてオリジナリティを提示できる力が欲しいと思っています。 (渡辺辰美) 鰍いわプリントのプロフィール @創業 昭和47年10月21日 A資本金 3,000万円 B従業員数 28名(含むパート3名) C主な製品 業務用印刷物、個人出版物、事務用品 D組版関連の主な設備
(電話 0166-26-2388) |