旭川札幌間のJR特急が「
スーパーカムイ」として高速化される。
白土三平の漫画のようなネーミングは旭川経済にプラスされるのだろうか。
現在の旭川札幌間のJR線は特急「ライラック」と特急「ホワイトアロー」が担っている。前者は旧車両ながら1時間30分で,後者は快適な新型車両で1時間20分で札幌へ,さらにそのまま新千歳空港へ快速として乗り入れる。旭川から羽田まで外の空気に触れることがない。遅いほうの特急「ライラック」が新型車両になり時間を短縮,ホワイトアローは既に車両を新しくしているので,ネーミングを統一するということだ。
札幌に行くには,そのほかに札幌稚内間の特急「スーパー宗谷」「サロベツ」や札幌網走間の特急「オホーツク」がある。ところが,いわゆる鈍行つまり普通列車の直行や急行そのものがない。ちょっと前は深夜の急行があったと思うが,今の時刻表にはそれも見当たらない。
初めて旭川に来た時に乗った特急は随分と左右に揺れて,社内販売や食堂車の従業員が足を突っ張って立っていたのを覚えている。電車ではなかったが,(SLではない)それでも随分と贅沢な旅に思えた。今はもっと豪華な車両で自由席が多いのでいつでも乗り込めて,時刻も規則的でとても便利だ。私は,特急は指定席が殆どということを忘れて,和歌山で予定していた列車が全指定で,それに乗れなかったことがある。便利は時としてポカの原因となる。関西空港に入る南海電鉄の
やたら格好いい特急は指定席券をホームの小さな箱のような自動販売機で買えるようになっているのも驚いた。
旭川札幌間はどんどん便利になるが,他地域に行く時はどうなっているんだろうか。旭川帯広間のJR線では直行がなく,旭川富良野の快速や急行もない。北見の友人は東京に飛行機で行くほうが便利と言っている。飛行機を便利に使えない時代は函館行は札幌から小樽回りが本流で,千歳回りの2本立てだったのが,今は小樽回りは無く,小樽の人も札幌経由で行かなくては函館に行けない。蜘蛛の巣状のネットワークをなしていた鉄道網は札幌を中心とした枝状になっている。
国土交通省の国道と並行して高速道路が建設されているが,これは蜘蛛の巣状のネットワークではなく,札幌という拠点に枝のように結ばれている。本来の交通網というのは道北や道東の地域間も便利にすべきではないのか。隣町のうまい農産物はこのようなルートに乗って札幌に集約され,再度木の枝のような経路で運ばれてくることになる。
トラックの事情も同じように変容しつつある。地方拠点の倉庫が廃止されている。総ての物流が札幌に集められ,そこから枝状に伸びる高速や高規格道路を利用するほうが効率がいいのだ。拠点だった旭川の役割が大きく変わって来ている。
あるとき晩秋の吹雪のなかを,お客様が自転車でやってきた。ワープロがこわれたので緊急にプリントだけしてほしいという。新制高校1期生だからかなりの年配だがとってもパワフルだ。
以前は商売をしていたというので,商都旭川でどんな商売をしていたのかと伺うと軍手を作っていたんだという。軍手を編む工場を経営して,多いときは何人もの女工さんを抱えていたとか。
ああそうだ。この頃は自分たちの軍手は自分の地域で作っていたんだ。耕作に使う農具も地元で誂えたにちがいない。どうしても作れないものは運んできて道北の卸拠点として旭川が栄えた(軍隊もあったが)。優佳良織も地元の人が自分たちのために羊毛を織ってきたものを昇華させたものだろう。私がプレゼントした優佳良織に,開拓農家の祖母は「おれの作ったのと変わらん」と言った。もっとも彼女は,コーヒーを「おれが大豆煎ったのと同じだ」と言ってのける人ではあったが。
自分たちの使うものはなんとか自分たちで作れないものだろうか。安くできるからと韓国や中国へ製造を移管することも増えているようだが,食べ物は勿論他の用途品も自分たちで適正な安い価格で作るようにできないものだろうか。
スーパーカムイと聞いて往年の急行「カムイ」を懐かしく思い出す人もありましょう。あのころは滝川以北は辺境の地であった。ところが買物公園が出来た頃から旭川はリトルトウキョウになろうとし,ものまねて垢抜けてきた。ここいらで,以前から手放してしまったものづくりを見直してみるのも面白いのではないだろうか。