「富良野の隣の旭川」と自嘲気味に言っていた頃もあった。知名度や観光の内容がこの20年で変わってきたように思う。いつの頃からかラベンダーが観光名物になり,いつの頃からか美瑛の丘が評判になってきたのだろうか。時系列で見てみると,富田ファームのラベンダー畑を下地に,富良野プリンスホテルの開館,「北の国から」の放映,優佳良織工芸館などがバスツアーを引き込み,美瑛が民宿滞在型の観光客をとらえ,21世紀に旭山動物園が噴火したという感じだ。
ファーム富田の初期の畑 TVドラマ「北の国から」全24話放送は1981年,中富良野のラベンダーは1970年をピークに,「合成香料の急激な技術進歩と貿易の自由化による安価な輸入香料の台頭で、香料会社のラベンダーオイルの買い上げ価格が下がる。」(
富田ファーム)採算の採れないラベンダーの畑は転作されていく。
1971年前田真三は「鹿児島県から北海道への日本列島縦断撮影旅行を敢行。その折の7月12日、北海道上富良野町津郷(上富良野町北部、国道237号美馬牛峠付近で、美瑛町と境を接する地域)にて、丘の上に整然と並んだ落葉松の風景を目の当たりにする。」(
wikipedia)
このころの北海道旅行は若者が寝具などを詰めた大きなリュックで改札口を横通りすることから「カニ族」と呼ばれ,ユースホステルや野宿で旅行するのが流行っていた。札幌駅の前や大通り公園に多数の「カニ族」が寝袋にくるまって寝ていた。1971年森繁久弥「知床旅情」が生まれ,1973年吉田拓郎の「落陽」,1974年には森進一が「襟裳岬」でレコード大賞を受賞した。
1972年6月1日旭川に平和通買物公園誕生,恒久の歩行者天国として全国的に評判となった。1974年富良野プリンスホテル開館,富良野がリゾート地としてデビューする。(富良野プリンスホテルは新富良野プリンスホテル開館によって通常は閉鎖されていたが,2006年
リニューアル再開した。)
温泉はない,名所もない,洋食の観光施設は不思議なものだった。1976年,「国鉄のカレンダーでファーム富田のラベンダー畑が紹介され,カメラマンや旅行者が訪れ始める。」(
富田ファーム)ラベンダーの都会的な色と香りは富良野地方を紫色に彩っていく。
時は1973年,第4次中東戦争で原油が高騰,大インフレ時代を迎える。この頃の消費をあおる傾向は,リゾートの開発と宣伝,豪華ポスターやカレンダーの制作を活発にした。ここには古墳も古代都市も町並みも偉人もいないが,懐古的ではないが,よく知られた風景が存在し,人を癒す魅力が発見された。
美瑛はセブンスターの木が「
1976(昭和51)年にはタバコ「セブンスター」のパッケージにも登場」(観光用の特別パッケージ?),1976年9月制作の日産スカイラインのテレビコマーシャルに,「
ケンメリの木」が使われた。「1977年7月20日前田真三は美瑛町新星緑ヶ丘にて、濃紺の夕立雲の下の赤麦畑を落日間際の太陽が照らし出した光景を撮影。『麦秋鮮烈』として発表」(
Wikipedia), 1978(昭和53)年に,「
この丘で「マイルドセブン」のCMが撮影」された。
1978年山口百恵の「いい日たびだち」がヒット,国鉄のディスカバージャパンキャンペーン第2弾がスタートする。「カニ族」が姿を消し,観光バスを利用したツアーが台頭する。
1980年旭川市台場に優佳良織工芸館開館,観光ツアーに欠かせないものとなった。そして,1981年10月9日〜1982年3月26日連続ドラマ「
北の国から」(全24話)放送,富良野が一躍脚光を浴び,富良野市と三町のいたるところでラベンダーが見られるようになる。
五郎の石の家の内部
「北国から」のセットはリアルにできていて,
裏にまわっても存在感がある。
このセットは地元の方々が修復公開している。 「北の国から」シリーズは,出演者の成長そのままを題材にして続編が放映され,高視聴率をあげていく。1983年3月「北の国から'83冬」,1984年9月「北の国から'84夏」,1987年3月「北の国から'87初恋」。1989年3月「北の国から'89帰郷」。富良野のとなりの旭川と自嘲気味に語られたのはこの頃だろうか。1988年新富良野プリンスホテル開館。
美馬牛小学校 1987年7月10日前田真三は「北海道美瑛町に、写真ギャラリー「拓真館」を開設。作品を展示すると共に、撮影拠点とする。1991年前田真三写真集『塔のある丘』を刊行(
wikipedia),
ポスターやCMの背景に使われてきた美瑛の風景が主役に躍り出ることになる。しかし,富良野市美瑛と間違われることもあった。観光客にとってはどうでもいいことらしい。
1987年,村上春樹のベストセラー「ノルウェーの森」で,旭川は「作りそこねた落とし穴みたい」と書かれた。どういう意味なんだろう。
できたてのタワーでポーズ それはさておき21世紀到来,旭山動物園の入園者が,2000年9月のペンギン館完成,2001年8月の旭山動物園オランウータンタワー完成から大きく増え始めた。2004年7月・8月「初めて月間入園者数が恩賜上野動物園を抜き日本一に」なった。(
wikipedia)その後も記録を塗り替え,現在に至っている。
今や,旭山市と間違われる--てなことはない。