2階から出入りする扉がついたビルを知っていますか。3条通7丁目のヨシタケパークビル。買物公園に面したウィンドウに、両開きのドアが付いている。あれは何? 高校生の時に抱いた疑問が甦ってきた。
高校時代、よく学校を抜け出して仲間と『国原』でレコードを試聴したり、マルカツデパートのブックス平和で本をのぞいたり、時々ロックやジャズを聞かせる喫茶店でサボっていた。
パークビル(当時の名称)の不思議なドアに巡り合ったのは、多分その頃だ。誰かに誘われてパークビルの喫茶店に行った。(当時は1人で喫茶店に行く勇気もなく、必ずサボり仲間と行っていた。)喫茶店での飲み物はレモンティーかミックスジュース。コーヒーは好きじゃなかった。そして厚切りのトースト。これがお決まりだった。ジャズやロックを聴くには、ちょっと初心だったかなー。2階の店は『メグ』という名だったと思う。
買物公園側からはアーケードが邪魔して、2階の雰囲気は見えない。広めの階段を上がって喫茶店に入ると、買物公園側全てがウィンドウで、明るい日差しが店内に差し込み開放感のある店でお客もビジネスマンやOL、真面目そうな学生ばかりだった。薄暗い店に慣れている反抗期の僕にはなんとなく落ち着かない店だった。
今も外からは取り残されたドアが見える。
内側は洋品店の服で埋められている。
外の景色を見ながらお茶を……と、ウィンドウに近づくと、あれ?『アーケードの上に出れますよ』と言わんばかりに、両開きのガラスドアがウィンドウの中心についている。まさか……と見直すがドアはやはり付いている。想像したのは、雪下ろしやメンテナンス用の出入り口。しかし向かい側に並ぶビルにはそんな出入り口が見つからない。変だ。……このビルの所有者の趣味か?
一時期気になって仕方なかったが勉強家でない僕は、それ以上深く調べる事無く、何処かに魚の骨が刺さっていても気にならない性格の様で、次々と生まれる新たな疑問に意識が流れ、そのドアの存在もいつの間にか埋もれて行ってしまった。
それが、先日いとも簡単に解決した。実に34年ぶりに……
ある日の昼休みの散歩中、嶋福朗記者はつぶやく。『パークビルの2階に使われないドアがあるんだって?』……忘れて頭の片隅に埋もれていた一つの疑問が、乾燥野菜にお湯をかけたみたいに、ムクムクと大きくなって元の姿を取り戻した。
左側階段にも2階にドアが
そして、その疑問の答えは彼の口からさらりと……1972年平和通買物公園が完成したが、その買物公園にペデストリアンデッキ(二階歩行回廊)が具体的に検討されていたという。
ペデストリアンデッキを設置すると、歩行者が自由に移動でき、その下は雨や積雪の心配も減り、アーケードに代わるものとして一石二鳥の効果を得られると考えられていた。しかし、多額の出費となるため断念し、将来的な検討課題として先送りされたということらしい。(Wikipedia)パークビルは丁度その頃に設計、建設されたものなのだろう。ペデストリアンデッキが出来る事を予想して、2階部分に扉をつけたと思われる。結局そのドアは30数年の間、一度も目的を達する事無く閉じられたままなのだ。
この答えが分かった時は、ちょっとした感動が味わえた。30数年ぶりの解決は実にすっきりとした気持ちになった。パークビルのドアの事情を知る人は沢山いるだろうから、何を今更と思われるかもしれないが、知識不足で申し訳ない。今頃こんな事で感動しています。その後もゆっくりとではあるが忘れていた記憶がムクムクと蘇りつつある今日この頃……いやー、まだお湯が足りないな。
<追補>
ペデストリアンデッキ完成予想図
北海道新聞1989/2/16「みえますか旭川二世紀」第二部買物公園B未完の上田構想
この文章はメイリオをインストールしたパソコンではメイリオで表示します。私にはとても見やすい書体です。ただし,字体はVISTAと同じくJIS2004です。「飴」が旧字体になっておいしくなさそう!
(オサラッペのカワセミ記者)