思い出の線路
小中学時代、川端の西高グラウンドの外れに住んでいた私は、西高の校舎が移転して来るまで近所の悪ガキらと毎日飽きもせずよく遊んだ。校舎が新築移転したのは昭和46年の秋だった。
グラウンドの北側錦町方面には線路があり、時折蒸気機関車やディ−ゼル機関車が木材や石炭を積載した貨車を引き、ゆっくり走っていた。どこか長閑なその風景を皆で眺めていたものだ。
中学生になり通学路が変わると、錦町の小さな踏切から線路に侵入し、線路づたいに歩いて帰ったりした。1日にほんの数回しか走らないし、線路は単線なので汽車の通過直後は絶対に安全だと自分で勝手に思い込んでいた。(今は絶対に真似をしてはいけません)
でも、歩いてみると線路の上ばかり歩いていられず、枕木の間隔も歩幅に合わず見た目のイメージとは結構違っていた。線路は歩きづらいのだ。それでも天気の良い日は車の騒音や土埃もなく、静かな時だけが流れるとても良い時間を体験できた。適当に歩いて、途中適当な所から抜け出し、畑を抜けてグラウンドを縦断して家に帰る……何度楽しんだかなー。
それから40年が過ぎてしまった。先日Google Earthで旭川の空撮を楽しんでいると、自衛隊から近文駅方面に向かってカーブを描く痕跡を見た途端、あの線路の事が記憶の底からふつふつと浮かび上がってきた。
林産試験場が緑町にあった頃の大きな踏切。錦町の小さな踏切。パルプの廃液を撒いた砂利道。土埃。懐かしさが心の中に広がって行く。早速自転車を引っ張り出して、近文駅から自衛隊までのルートを辿ってみる事にした。
残っていた? 支線跡
近文駅
近文駅(ちかぶみえき)は、近文町20丁目にある函館本線の無人駅で、跨線橋が駅舎とホームさらに反対側の運転免許試験場側へと繋がっている。ホームには明治後期に建てられたとされる古い木造の待合室があって、この待合室が実に味わいのある雰囲気を出している。
主に旭川明成高校生や免許試験場利用者他通勤・通学客が利用しているといわれる。
跨線橋に上がって上り方面を見ると、ホームを挟むように上りと下りの線路が走り、その外側に普段は使われていない様な線路が上り下りそれぞれに2本ある。振り返って旭川駅方面を見ると下り線の一番外側の線路が200m余り先の方で消えているように見える。
もしや支線跡なのでは? 期待に胸を膨らんできた。
跨線橋に上がって上り方面を見る
緑町17丁目の資材置き場の奥に入って見ると、本線ではない2本のレールは、途中で合流して1本になり、その後本線に合流するものと、そのまま直進するものとに分岐しているのだが、直進するレールのその先は砕石で数mの間埋められていた。木枕木が使われていて、かなり古い物のように見える。その先は線路が無く草が生い茂げり、資材置き場そして日本配合資料の建物へと続いている。
この線路が函館本線旭川大町支線という可能性はかなり高い。この地点から函館本線を離れ緑町の踏切を越え、錦町の踏切を越え大町駅へ向かって行ったんだ。と勝手な想像で一人盛り上がってしまった。
支線跡を辿って
緑町13・12丁目
線路跡は近文16丁目から緑町15丁目の住宅街を東へ上り、明成高校と旭川中央ハイヤーの間を抜け、嵐山通線を横切って緑町13・12丁目の住宅街に入って行く。
この住宅街は支線線路跡に沿って建てられたため、他の住宅の並びとは違い、川端町に向かって斜めに一直線に並んでいるため地図で見ても分かりやすい。近文東鷹栖線を横切り川端4条の住宅地に入ると、痕跡が全く無くなる。この辺は畑地だったはずなので、線路跡は宅地造成ととも消えたのかも知れない。更に東に向かい錦町線を横切ると北門町9丁目から、北の散歩道という遊歩道に整備されている。
川端4条の住宅地
北の散歩道
サイクリンロードとジョギングコースが並走する立派な遊歩道に入ると直ぐに北東に向かう大きなカーブに入る。並木が美しい道を進むと右手に大有小学校、左手にスーパーダイイチが、この辺りからは製材工場が続いていた所だ。旭町線を横切り北東に向かいさらに進むとおしゃれな池や小川や芝生の丘がレイアウトされた公園や多目的スペースを持った広場にさしかかる。なかなか楽しい遊歩道だ。そして散歩道は大町2条7丁目、金星橋線を目の前にして終わっている。
この線路は函館本線旭川大町支線と呼ばれているが、正式名称は確認出来ていない。
色々調べる中で、鷹栖専用線という第七師団の軍事資材運搬線だった線路を、太平洋戦争後1950年(昭和25年)に国鉄函館本線の貨物支線として、旭川大町駅が設置され開業、その後1978年(昭和53年)に廃止されたということだ。第七師団に関係していた事も大町駅が存在した事も、恥ずかしながら初めて知った事だった。
今回はGoogle Earthが忘れていた思い出を引っ張り出してくれた。
都市開発などで、昔の名残が消えて行くのに寂しさを感じる時がある。忘れていた昔の思い出を引っ張り出してくれる様な、味のある名残が旭川の街のあちこちにあっても良いのではないかと思った一日だった。
この文章はメイリオをインストールしたパソコンではメイリオで表示します。私にはとても見やすい書体です。ただし,字体はVISTAと同じくJIS2004です。「飴」が旧字体になっておいしくなさそう!
(オサラッペのカワセミ記者)