那須街道を更に北上すると、明治時代に乃木将軍が毎年湯治に訪れていたという大丸温泉を始め弁天温泉や那須連山の主峰茶臼岳の9合目まで登るロープウェイなどで楽しめるのだが…、時間が足りない。
計画時から分かっていた事だが、那須高原に来て1泊だけで何処も見ずに去ってしまうなんて、あーもったいない。せめてもう1泊できれば少しは楽しめたかもしれない。栃木も福島も宮城も1日ずつ追加すると6泊7日…あり得ないなー。帰ったら職探しが待っている事になる。いっその事、宮城に住み着いて…なんて考えながら山道を走り続けるのだった。せめてもの救いが、月井酒店さんのご主人が色々紹介してくれた栃木の美味しいお酒を購入できた事かな。
那須街道を外れ290号線に入ると直ぐに福島県に入る。カーブが多く起伏に富んだ道を更に走り続け、289号線甲子(かし)道路に入り会津郡下郷町へ。途中地図を見て気が付いたのだが下郷近辺の住所表示が面白い。百目貫甲、居平乙、滝ノ前丙、居平丁など、甲乙丙丁が付いた地名が沢山出てくる。どの様な歴史の流れが甲乙丙丁を付けたのだろうか。北海道の歴史より遙かに長い歴史を歩んできたこの地は、人も文化も風景も何もかもが興味深い。
塔のへつり
湯野上温泉駅
長い年月にわたり侵食・風化された塔状の奇岩が国の天然記念物となる「塔のへつり(会津の方言で断崖)」という景勝地を素通りし、日本では此処にしかないという茅葺き屋根の湯野上温泉駅も素通りして、兎に角大内宿へ急ぐのだが、予想通り一歩手前で渋滞に巻き込まれてしまう。柔らかい春の日差しに揺れる桜や長閑な景色を楽しみながら、少しずつ大内宿に近づいていく。そろそろ飽きてきたかなーっと思った頃に、大内宿の駐車場に入る。数か所に分散された駐車場の係員の手際良さが田舎らしくなく妙に印象的だ。
大内宿は、会津から2番目の宿場町だ。会津藩主の江戸参勤や米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線だったという。
昭和56年4月18日に重要伝統的建造物群の指定を受け江戸時代の町並が保存されている。現在は農業から観光産業へと切り替わり、ほとんどの家がお土産店や蕎麦屋などに変わり、年間約120万人の観光客が訪れる観光名所になっている。
妻はマイペースだ。長男と私が日本の風景を堪能している隙に、ちゃっかり岩魚の塩焼きを食べている。やはり彼女には、心で感じる風景より食欲が優先されるのだった。
大内宿見渡す
大内宿の全景を見るべく奥の展望台へ向かう。軒先に座って手作りの土産物、今朝とれたばかりの野菜、手作りの団子などを売るお年寄りの顔が素敵だ。食べ物屋も多いが、やはり軒先での会話が楽しい。
展望台から大内宿を見渡してみると、旧街道の両側に40数件の茅葺き屋根が並ぶ様、旧街道沿いの用水路や鯉のぼり、大内宿から外れ山里へでも入って行くかのような森に建つ高倉神社らは、「郷愁を呼ぶ風景」とでも言おうか、自分の勝手な「日本の原風景」とでも言おうか、心の奥底から何かが静かにゆっくり噴き出してくる様な温かい感情が生まれて来る。大切にしたい日本の風景だなー。
大内宿の風景を堪能し、美味しい春の空気を一杯吸い込んで、柔らかい日差しで心が温まってくるまで、展望台でのんびりしていた。妻は、相変わらずお店めぐりをしているはず。「そろそろ下へ降りようか?」長男も同じ温もりを感じていたかな?
会津の大根おろし蕎麦は、高遠(たかとお)蕎麦と言われてる。東北の歴史を感じる響きに聞こえるのは、私だけかな? 大内宿ではネギを箸にして食べる蕎麦屋が有名だが、訪ねた日は何処も1時間30分待ち。もちろん待つ訳がない。分家たまやさんで頂いた、鳥せいろ、お蕎麦、うどん、そのどれもが美味しかった。
大内宿を後にして、会津若松の鶴ヶ城へ(続く)
この文章はメイリオをインストールしたパソコンではメイリオで表示します。私にはとても見やすい書体です。ただし,字体はVISTAと同じくJIS2004です。「飴」が旧字体になっておいしくなさそう!
(おさらっべのカワセミ記者)