大内宿から会津若松の鶴ヶ城に向けては1時間程度の旅だ。幾つかのトンネルを抜け、福島の春景色を楽しみながら会津若松市街の若松城(鶴ヶ城)へ。大河ドラマ「八重の桜」ですっかり有名になった若松城(鶴ヶ城)は、戊辰戦争で政府軍との1か月にわたる戦いに耐えた名城。その後明治7年に取り壊されるも昭和40年に再建し、平成23年に幕末時代と同じ赤瓦へと葺き替えられたばかりだという。
城内駐車場はすでに満車状態だ。係員の誘導で臨時駐車場に滑り込み、風薫る城内を散策させてもらった。桜の季節は終わっていたが、遅咲きの桜越しに仰ぎ見る天守閣はとても美しかった。これが桜なのかと思う位の色の濃さと花弁の多さに驚いた。旭川の山桜を見慣れているせいか、可憐さは微塵もなく豪華に咲き誇っている。
相変わらず慌ただしいスケジュールのため、天守閣や千利休の子小庵が建てたと言われる有名な茶室など行列のできている所には近づかずに、次の目的地武家屋敷や白虎隊ゆかりの地を訪れようと張り切っていたのだが…なんと時間切れ。なんとか遣り繰りして希望を叶えようと頑張ったが妻も長男もそれらには興味なし。小野家の発祥の地でもある会津若松に来ているというのに、もう少し歴史の端にでも触れたかった。またしても、あーもったいない。せめてもう1泊…。密かに至福の時間を楽しむべく企んだ計画は、どんどん水の泡となっていくのだった。そんな事お構いなしの長男はナビを見ながら「早く福島市に行って、有名な塩ラーメン食べよ。」ってな感じだから。
福島市までは車で2時間。後ろ髪引かれる思いで柔らかな新緑に包まれた会津若松を離れた。長男の車は、買ったばかりの外車だ。革張りの椅子に電動シートにナビもすごいんだと自慢し、外車に魅せられた妻…といっても車の事にはさっぱり興味がない。車の名前を何度も聞き返すがさっぱり覚えない。やっと覚えたのが、「オリンピックマークみたいな車」。…を乗せ風を切るように先を走って行く。こちらの車はスタッドレスを履いたマツダのデミオ。スポーツカーみたいなのに付いて行ける訳がない。初めて乗ったデミオは気持ち良く走れる良い車だ。
猪苗代湖に寄り、雪が残る磐梯山を左手に見ながら雪がちらつく峠を越え、夕刻に福島市に着いた。その後は、例の塩ラーメン屋と何処かの居酒屋で乾杯。
翌朝、栃木に戻る長男と別れ、世界遺産に選ばれたばかりの岩手県平泉に向けて東北自動車道を北上した。東北に来たら必ず平泉中尊寺には寄ることにしている。何故って? 自分にも良く分からないが中尊寺の厳かなところが好きなのかなー。卒論も奥州藤原氏を取り上げたので尚更かなー。全く覚えていないのだが。
平泉まで東北自動車道で2時間程なのだが、昨日までと打って変わって車の量が多いこと多いこと。ほんわかな春の景色とは裏腹に、のんびり走る事なんか許されない張りつめた空気が東北自動車道には漂っていた。かなりのスピードで何台もの観光バスが追い越して行く北海道とは迫力が違うのだ。北海道の高速道路しか知らないもんだから、少々ビビりながら走ることになる。車間距離をあけて安全運転…なんて出来る状態じゃないし、どんどん間に割り込んでくる。右車線に行ったり左車線に行ったりする落ち着かない車もあれば、一般道路の様な車間距離で走る車ばかり。いつもなら隣で気持ちよく寝る妻も緊張のためか東北自動車道を降りるまでは始終東北の話題で盛り上がった車内となった。
そんな車内にFMラジオのパーソナリティーの「平泉の春の藤原まつりはものすごい人出です」なんて声が流れる。沈黙する車内。聞き入るラジオ。交通情報では平泉前沢ICで2km以上の渋滞だという……泣く泣く諦めて予定変更ー。
手前の一関ICで降り、気仙沼に向かう事にしたが一関ICでも1qの渋滞。もうぐちゃぐちゃなスケジュールと相成ったのでございます。
車の列が少しずつ進む間に、昔を思い出したりして。一関から本家までの道程は結構記憶に残っている。釧路発「特急おおぞら」で函館へ、青函連絡船で青森に渡り一関に着くのが翌日早朝6時頃だったかな。白々と明けてきた空を見ながら駅のホームで食べた月見そばは美味しかった。空腹を満たしたら大船渡線に乗り換えて気仙沼へ。気仙沼駅から港までタクシーに乗り、今度は港から畳み敷きの小さな船で「宿」という小さな魚港へ向かう。当時は道路の整備が行き届かず船も活躍していたのだ。気仙沼港を出た船はリアス式の海岸を進み次の入り江奥の小さな魚港で人と荷物を積み降ろし、次の港へと繰り返す。「宿」そこに車が迎えに来ており、港から数分で唐桑の本家に辿り着く。着いたら、祖父祖母、親戚、病院職員の皆さんに挨拶する。北海道からやって来た家族は唐桑の人にどの様に見られていたのだろう。
岩手県一関市は合併によって現在の人口は12万5000人ほどだが、合併前の人口は6万2000人ほどだったので、街並みの規模もその当時とあまり変わっていないように感じる。小さな市街を歩いてもゴールデンウィークなのに、なんとなく寂しさを感じる。
途中で見つけた手焼きせんべいの店で昼食出来る店はないか?と聞いたら2件隣の魚屋が面白いよと教えてくれた。魚屋が奥の蔵で魚料理をやっているらしい。
その魚屋は「冨澤」。店頭には魚が1匹も無く魚屋そのままの格好の男性が2人手持無沙汰に立っている。入りずらい雰囲気だなーっと思っていたら、その魚屋のあんちゃんが「いらっしゃい。お食事ですか? 今日は美味しい魚がありますよ。どうぞ奥へ」と案内してくれた。店頭に魚が無いのに、美味しい魚だって? 進められた奥には蔵があり、中が食事処となっている。雰囲気も良さそうだった。ところが直前に満席になったので僕ら夫婦だけ2階の部屋に案内される。なんだそりゃ、もう少し考えて客を呼び込めよ。と思いつつも旨い魚料理を食べるためには我慢をしなければ。旅人が短気ではいけない。部屋は味気ない洋室だったが、気兼ねする事無く旅の話をしながら食事を待つ時間は結構楽しかった。頼んだのは、海鮮丼と鯛の焼き魚定食。結構な時間を待たされたが、どちらも丁寧な造りで目を楽しませてくれ味も最高。「旅先でこんなに美味しい魚料理を食べれるなんて、ラッキーだったね。」と魚好きの奥様大喜び。私の無計画さで平泉に行けなかった代わりに、一関で予想外の昼食にありついた事で全て帳消にしとこ。
さて、一関から気仙沼へドライブの続きだ。
この文章はメイリオをインストールしたパソコンではメイリオで表示します。私にはとても見やすい書体です。ただし,字体はVISTAと同じくJIS2004です。「飴」が旧字体になっておいしくなさそう!
(おさらっべのカワセミ記者)