NHK放送局(目で見る旭川の歩みより)
NHK旭川放送局は昨年80周年を迎えました。1933(昭和8)年、5条20丁目(現在の中央公民館)から初のラジオ放送が始まりました。80周年と銘打って様々な取り組みを旭川放送局が行っていますが、昨年あったNHK旭川放送局第一スタジオでの「地域と歩んだ80年展」は、NHKならではの古い機材や資料を見ることができました。常磐町の街頭テレビについて知りたかったのですが、残念ながら資料はないようでした。
今は中央図書館の駐輪場となっているところに、街頭テレビのモニュメントが立っています。解説によると
「昭和32年7月、道内で初めての街頭テレビが当時の労働会館前(現中央図書館前広場)に設置され、多くの市民に親しまれていました。特に、昭和34年の今上天皇の御成婚のおりには、そのテレビ放送を見るためにたくさんの人々で埋め尽くされたものです。
このモニュメントはテレビ時代の幕開けを象徴するとも言える街頭テレビを当時のままに復元したものです。平成6年8月」
テレビの中に街頭テレビを見上げる沢山の人が描かれています。
今の中央図書館が全面改築開館したのは平成6年10月ですから、このときに設置したようです。設置者が記載されていませんが、図書館改築の一環だったのでしょうか。
驚くのは道内初の街頭テレビが旭川であったことです。見せて上げたいと思ったのか、見せて購買意欲をそそろうとしたのかはわかりませんが、当時、テレビを見るために多くの市民ががやがやと集まってきたことが想像出来ます。
労働会館と市民会館のちの体育館
(昭和32年頃街は生きている下巻より)
労働会館は1951(昭和26)年11月1日に開館しました。鉄筋コンクリート造地上3階建790.17平方メートル、総工費1780万円余り、寄付金530万円、他を道と市の補助金で建設したものでした(嵐中威風堂々p31)。当時の労働界の勢いが伺われます。
裏側は市民会館となっており、のちに体育館として使用されました。旧美幌第一航空隊の格納庫を買収し、建設したものだったが、ステージのない市民会館で、昭和33年に公会堂を建設してからは体育館として使用された(街は生きている下巻p135)。この体育館は観客席がついていたのを覚えています。
労働会館は旭川労働組合連合会(旭労)の事務所として使われていました。1986(昭和61)年道北ろうふくセンター(4条西6丁目)に移転し、中央図書館建築のため体育館とともに解体されました。旭労はその後の労働組合再編で解散、道北ろうふくセンターは連合北海道や全労済が使っています。
そしてテレビは、ご成婚を機に各家庭に普及していったということですが、我が家では力道山見たさに父親が借金して買ってきたものです。黒いタイツが少年の憧れでした。
この文章はメイリオをインストールしたパソコンではメイリオで表示します。私にはとても見やすい書体です。ただし,字体はVISTAと同じくJIS2004です。「飴」が旧字体になっておいしくなさそう!
(嶋福朗記者)